眠れない夜の散歩道

ベトナム帰りの50代男が綴る東京生活

映画『天と地』

この映画を私が初めて見たのは2006年か2007年のことだと思う。
それから10年以上たって再見した。

簡単な紹介

『天と地』は1993年制作のアメリカ映画。『プラトーン』(1986年)、『7月4日に生まれて』(1989年)に続くオリバー・ストーン監督のベトナム三部作の一作だ。

原作はレ・リー・ヘイスリップの小説『When Heaven and Earth Changed Places』。
舞台はベトナム中部の農村、キー・ラ。主人公のレ・リーはこの村に1949年に生まれる。当時は第一次インドシナ戦争の最中で、フランス軍とベトミンとが戦っていた。
1954年にディエンビエンフーの戦いに敗れたフランス軍はその後完全撤退するも、以前からフランスを援助していたアメリカはベトナム共和国南ベトナム)を成立させる。
ベトナム共和国ゴ・ジン・ジェム政権から激しい弾圧を受けたベトミンは、解放戦線を組織する。
美しい村だったキー・ラも戦争に翻弄され、レ・リー一家の兄たちは戦いに参加するため北ベトナムに向かった。村は昼間は南ベトナム政府軍が支配するも、夜になると解放戦線が浸透していた。
解放戦線のスパイをしていたレ・リーは政府軍から拷問を受ける。それをきっかけに村にいられなくなり、母とともに南部のサイゴンに出ていく。

なぜか英語を話すベトナム人たち

まず最初に感じたのは、ベトナム人である主人公レ・リーとその家族が英語で話をしていることへの違和感だ。
サイゴン軍の兵士がレ・リーを拷問するときも、解放戦線の兵士が村人に思想教育をするときもどちらも英語を使っている。
それでいて周囲から聞こえてくる会話などはベトナム語だったりする。
言ってみれば、アメリカを舞台とするアメリカ人が主人公の映画で主要な登場人物同士が日本語で会話をしているようなものだ。
とりあえず無理やりにでもこの違和感を横に置いておかないと映画に集中できない。

サイゴンからダナンに移ったレ・リーは米兵と片言の英語で話をしている。

物語の最後に、アメリカで育ったレ・リーの子供たちがレ・リーの故郷を訪れるのだが、ベトナム語を話せない子供たちとレ・リーの母や兄との出会いのシーンでつじつまが合わなくなってしまっている。
物語の前半ではレ・リーと流暢な英語で会話をしていたレ・リーの家族が、この場面では英語を話せないのだ。
前回見たときにこの致命的な欠点をなぜ意識しなかったのか今となっては謎だ。

今になって気づいたこと

今回初めて気づいて驚いたのは、主人公と結婚する米兵スティーブ役をトミー・リー・ジョーンズが演じていたこと。前に見たときにはトミー・リー・ジョーンズのことを知らなかったのだろう。
もう一つ、映画『キリング・フィールド』でアメリカ人ジャーナリストのカンボジア人助手ディス・プランを演じたハイン・S・ニョールがレ・リーの父親役を演じている。一般にカンボジア人のベトナム人に対する感情には複雑なものがあると言われる。この役を受けると決めたとき彼がどのような気持ちだったのか知りたいところだが、1996年にロサンゼルスで強盗に殺されてしまったのでもう聞くことはできない。

原作は2分冊の文庫本で出ている。それだけの分量を2時間20分程度の映画にまとめるのはやはり無理があると感じた。

いちばん印象に残ったシーンは

この映画でいちばん印象に残ったのは、アメリカに渡ったレ・リーがスティーブ一家と一緒に食事をしているシーンだ。
ティーブの姉だか親戚だかが「飢えたベトナム人のためにももっとたくさん食べろ」とか「豊かな暮らしに感謝してほしい」などと言ったときに、スティーブが激しい口調でこう言い返す。
アメリカ人が村に入っていくと、村人たちは『殺さないで』と言う。(病院の前では?)アメリカ軍の爆弾や銃撃で手や足を失った人たちがこちらに手を振る。彼らは生きていることに感謝しているんだ。そんな彼らを残してアメリカに来ているリーは素直に喜べないんだ」(はっきり記憶しているわけではないので少し違っていたら申し訳ない)。